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幸福(幸せ)は自分の心が決めること

純真になることで、紹介した言葉があります。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて、感謝しなさい。」
この聖書の言葉は、幸せの三原則です。
とても大事な命令であり、忘れてはならない規律であり、常に従うべきルールでもあります。
喜んでいること(幸福な気持ちで生きること)、祈りを捧げること(自分以外の他者にエネルギーを与えること)、感謝すること(素直に受けとめること)は、成功の大原則です。
喜んでいること(幸福な気持ちで生きること)、祈りを捧げること(自分以外の他者にエネルギーを与えること)、感謝すること(素直に受けとめること)は、成功のスタート地点であり、ゴール地点であり、原点なのです。
【いつも喜んでいなさい】
どんなときにも、笑顔とユーモアを忘れずにいましょう。
曇りの日でもその雲の向こう側では太陽は光を放ち続けて上空にあるのです。
いつも肯定的な心持ちで居続けることです。
何が起きても気分はハッピー、いつも晴れやかな空のまま。
出来事や状況に対しては常に「良かった、なぜならそれは○○だから」と、
肯定的な要素を結び付け、肯定的なイメージを連想するようにしましょう。
【絶えず祈りなさい】
全身全霊をかけて、一心不乱に、無我夢中になって、目標に向かって取り組みましょう。
「なにかしようと思ったら、
そのことだけに夢中にならなくちゃだめだ。
ほかのことに気をとられちゃいけないんだ。」
これはドラえもんがのび太に言った言葉です。
寝ても覚めても、四六時中ずっと、脇目も振らず、一つのことに没頭し、専念すること。
身も心も魂も一点に結集させ、一心不乱に、真剣に一つのことに集中し、第一に取り組むこと。
全力を尽くし、がむしゃらに、黙々と、寝食を忘れるくらい、情熱をかけて打ち込むこと。
これらは「祈り」の非常に重要な原則であり、「祈り」そのものでもあります。
祈りとは、意識すること(意志)、聞くこと(話すこと)、見ること、活動すること、時間を何に使うのか、という「思考」と「選択」と「集中」から生まれてくるものだからです。
自分が持っているエネルギー、自分に与えられたエネルギー、全身全霊の全てを集中させるのです。
意識(Consciousness)、言葉(Audio)、視点(Visual)、活動(Kinetics)、時間(Time)、その全てCAVKTこそ、まさに人間の「命」(=生命)と同義であるといえます。
「命を賭ける」とは、全身全霊を傾けることです。
今、自分にできることは何なのか?
今、自分にできることに全力を注ぎ、取り組むのです。
わたしたちは、自分に与えられた能力を最大限に駆使することで、
より高い次元でパフォーマンスが発揮できるようになっているのです。
困難を乗り越えて目標達成へと繋がる突破力は、このような祈りから生まれてきます。
【すべてのことに感謝しなさい】
自分の身に起こるありとあらゆるすべての事象について、
心を開いて現実を知り、素直にありのままを受け取りましょう。
一見、困難に思える物事には、学び、ヒント、気づき、教えが含まれていないでしょうか?
今よりステップを一段高く上るために必要な成長の糧が含まれていないでしょうか?
ものの見方や考え方、他者や自分に対して口にする言葉、立ち居振る舞い方や行動に、フィードバックできることはないでしょうか?
まだ知らないこと、まだ気付いていないこと、まだ見えていないことがあるかもしれないのです。
もしそれがトレーニングであり、隠されたヒントを見つけるための学びであり、研修の一環なのだとわかったときには、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを言葉にしてみましょう。
聖書の言葉には「いつも、絶えず、すべて」が付けられています。
これには、継続、集中(選択)、蓄積(積み重ね)、反復(繰り返し)の意味が込められているといえます。
また、それらを結び付けて舵を取る、すべての源は、思考です。
また、昔から「継続は力なり」といわれます。
WANDSの「世界が終るまでは・・・」のなかに、
「だれもが望みながら永遠を信じない
なのにきっと明日を夢見てる」
というフレーズがあります。
他者との比較の上に成り立つ幸福は、はかなく、もろく、心もとないですが、
自分の心が決めた幸福は、絶対的な幸福であり、永遠です。
つまり永遠を作り出すことはできるのです。
そして永遠を作り出すのに必要なものは、積み重ねです。
積み重ねとは、鍛錬であり、継続であり、蓄積です。
「ローマは一日にして成らず」といわれ、「千里の道も一歩から」といわれ、「塵も積もれば山となる」といわれ、「雨垂れ岩をも穿つ」といわれ、「石の上にも三年」といわれるのは、すべて積み重ねの比喩です。
この積み重ね、鍛錬であり、継続であり、蓄積こそが、永遠というレバレッジを生み出すのです。
ただし、注意しておきたいことがあります。
それは、絶対的な幸福は手に入れることができても、
絶対的な存在には決して成ることはできないということです。
そしてまた、みんなが不幸な状態で自分一人だけが幸福になるということもできません。
利益を独占して自分一人だけが得をするのではなく、分かち合う(与える)ことが必要なのです。
いつも感謝を忘れず、みんなで幸福になれるように努めることが大切です。
なぜなら、人を含めたこの世界のありとあらゆるすべての事物は、
循環を繰り返す相互の関係性のなかにいるからであり、
相互にプラスやマイナスの影響を及ぼし合っている存在だからです。
このような真理のエネルギーの波動に乗り、
またこの真理のエネルギーの波動が生み出す流れ(フロー)に乗るために、
必要となるアクセルとブレーキとハンドルのことが、
紹介した聖書の言葉には含まれています。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて、感謝しなさい。」
アクセルを踏み続けなければ、クルマは前に進みません。
アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいても、クルマは前にも後ろにも進めません。
アクセルを踏み続けるだけではなく、適切なときにブレーキとハンドルを使い、障害を避けたり、乗り越えることが必要です。
アクセルとブレーキとハンドルを上手に使い、目標地点を目指しましょう。
喜びと祈りと感謝で、自分の人生を満たし続ける。
幸せとは、心の状態であり、心模様です。
幸福なのか?、不幸なのか?、それは自分の心のあり方次第でいとも容易く、簡単に決まります。
幸せは自分の心が決めることです。
誰か他人から「あなたは幸せである」と決めてもらうものではありません。
なぜなら、あなたが心から幸せかどうかは、あなたにしか分からないからです。
どんなに自分に嘘をついても、結局、
あなたの本心はあなたが一番よく分かっているはずです。
だまし続けることはできないのです。
「自分は幸せである」と思うのは、自分自身以外の何者でもないのです。
そして「幸せな気持ちになる」ことができたなら、人は誰しも、いつでも、幸福を感じることができます。
楽な気持ちで生きられなければ、決して生活が楽になることはありません。
気楽とは、気が楽な状態、気持ちが楽しい状態、つまり喜びです。
楽な気持ちで気持ちよく生きられれば、必ず生活も楽になり気持ちよく生きられるのです。
「人は、幸せな気持ちだからこそ、幸せになれる」のです。
それが一番大切なことなのです。
こんなふうに言葉にしてしまうと、
なんだか至極当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、
意外にも真実とはシンプルなものです。
幸福とは「汗水垂らして、血眼になりながら、必死に探し求める」ようなものではないのです。
コメント
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2013年 4月 26日トラックバック:諸行無常 | 【AIOP】成功の言葉

自分に起こる全てを“恵み”として生きよう
必ずしも第一志望が“最良”とは限らない
渡辺和子さん「幸せはあなたの心が決める」PHP研究所
ノートルダム清心学園理事長 ミリオンセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者が、思い通りにいかない人生に負けず、笑顔で生きていく秘訣を身近な体験から語る。
全世界共通の幸せの秘訣とは?
世界には、豊かな国もあれば貧しい国もあり、過ごしやすい国もあれば、厳しい自然環境の国もあり、治安がいい国もあれば危険な国もあります。
そして、恵まれた国の人がみんな幸せかというと、そういうわけでもなく、逆に、厳しい環境の国の人がみんな不幸かというと、そういうわけでもありません。
恵まれた国にも、厳しい環境の国にも、幸せな人がいますし、不幸な人もいるのです。
そのような状況の中、では一体どんな人が幸せなのか? について、清水ハン栄治さんという人がリサーチしました。
住む国や、環境や、宗教など関係なく、どんな人が幸せに暮らしているのか? ということなのですが、それは「人に優しい人」だそうです。
友達や家族はもちろんのこと他人にまで優しい人ほど、その人自身が幸せに暮らしているということなのです。
逆に、他人に対して厳しい人ほど、仮に金銭的や生活環境的に満たされていたとしても、心は“ハッピー”ではないということです。
清水ハン栄治さんは、このことを感覚的にわかったあと、心理学者や脳医学者、宗教者などへインタビューを行ったり、共同研究をしたりしたそうです。その結果、わかったのは、やはり、やさしさと幸せは正比例するということだそうです。
というわけで、もしあなたも、もっと幸せになりたいのであればもっと優しい人になることをお勧めします。
幸せになる秘訣というのは、大金を手に入れることでもなく、有名になることでもなく、マッチョになることでもなく、もっと身近なところにあったというわけですね。