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本物になる

「守破離(しゅはり)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
室町時代、父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を確立した世阿弥が記した理論書「風姿花伝(ふうしかでん)」の中で、守破離という言葉は使われてはいないものの、そのルーツとなる原型の考え方が説かれています。
この考えは後の世に伝わる中で、武道や芸道の場で使われてきました。
この「守・破・離」を実践することこそが、成功への道です。
「守・破・離」とは読んで字の如く、
【守】最初の段階は、師についてその教え、流儀を徹底的に学ぶこと。師の流儀を愚直に正しく守り、その基本を自分のものにする。
【破】師の教えを守りながらも(基本を忠実に実践するだけでなく)、師の教えにはなかった方法(他流)をも研究し、独自の工夫を加えながら試行する(基本の応用を実践する)。
【離】基本の枠、応用の次元を超越し、今まで身につけ学んできた技能を発展・進化させ、独自の道を究め、一つの悟りの境地を拓く。そして「離」の究極の領域に到達した人のことを”達人”と呼びます。
といった内容になります。
最初は基本を忠実に守り、次にそれを応用、最後は型から離れ、独自の道を確立するというプロフェッショナルの成長〜独立の過程を表すものです。
基本をしっかりと身につけることに全力を注ぎ、ひたすら応用と実践を繰り返した上で、独自のノウハウを作っていくのです。
人生には終わりがありますが「学ぶ」ことに終わりは無いのです。
何事も「学び」の初めは”ものまね”からスタートします。
お手本をみっちりと真似することから始まります。
しかし、いつまでも”ものまね”をしているだけでは、それは所詮、単なるニセモノにしか過ぎません。
なぜ、こんなにも世の中には、なんちゃって●●と呼んだ方が相応しい「偽物」が溢れかえっているのでしょうか?
それは、たとえ一流を真似したとしても、それは三流ということであり、良くて二流止まりにしかなれないのです。
単なる「知識」として身につけるだけではなく、
人の数倍、時には数十倍行動し、絶えず「経験」を増やしながら、実践(実際に行動)する。
トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、自分だけのオリジナルの道を確立する。
独自の道を究め、境地を拓くことができて初めて、一流になることができたということができます。
そして、一流こそが本物であるということを意味します。
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