爽快な使命感が芽生える時

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アンパンマンのマーチの歌詞には、

「何のために生まれて

何をして生きるのか

答えられないなんて

そんなのはいやだ」

とあります。

 

いったい自分は何のためにこの世界に生まれ、

何をして(どのようにして)生きているのか?

その答えを埋めてくれるものが、使命感です。

 

祈りが他者に与えることであり、

自らのエネルギーの集中であることを書きました。

そして祈りからは、明確な目的意識が生まれてきます。

「私がいなければ、私がやらなければ(私がやるのだ)」

そう思えてくるのです。

それは、親が子どもを育て、守ろうとする時の気持ちと似ています。

 

使命感とは生き甲斐、やる気にも直結します。

自動車で例えるなら

トルクが湧き上がり推進力を付加するターボチャージャーのようなもので、

自らのエネルギーの集中と他者に貢献するパワーを増幅させるものです。

 

祈りに集中することが使命感を芽生えさせ、

使命感が祈りの本質をより高い次元に昇華させていく。

前に向かって歩みを続けることで、円を描くように自然に上に昇っていく、

それはまるで螺旋階段を昇っているかのような、気持ちの良いスパイラルと言えます。

 

「世の人は我を何とも言わば言え 我がなす事は我のみぞ知る」(坂本龍馬が遺した言葉)

 

その上昇のスパイラルこそが、

人生にとって素晴らしい流れであり、

爽快な使命感が芽生えた証なのです。

 

使命とは、言い換えるならば、それは「神の意志」です。

神の力はすべて、直接的にではなく、「人」を通じて、間接的に「人」に与えられるものです。

だから、いつ、どこで、誰が(誰に)、何を、どのように与えるか、その答え(なぜ?)は、神だけが知っているのです。

なぜそうなるのか?

その理由を、私たちが知る必要はありません。

悩むことも、苦しむことも、遠慮することも、迷うことも、ためらうことも、ないのです。

道はただ一つしかありません。

ひたすらに、がむしゃらに、全力を尽くすのみ。

怖れるものは何もない。

思い煩うことは何もない。

必要なものはすべて与えられているのだから。

 

「人事を尽くして天命を待つ」(西郷隆盛が人生訓として大切にした言葉)

 

使命とは、挑戦への問いかけであり、

それは自分の使命に忠実に生きることに繋がるのです。

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