施し恵むこと

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hodokoshitomegumi

与えることの本質はお金だけでは量ることのできない、お金だけでは表現することのできない「価値」です。

ただ、施しや恵みを「与える」と聞くと、よく思い浮かべるのはやはり「寄付する」ことや「募金する」こと、というのも、もちろん事実でしょう。

価値というものを計る一つの尺度として、確かに、わたしたちに馴染みが深いのはモノやお金などです。

それはモノやお金などは目に見えるかたちであり、施しや恵みを目に見えるかたちで行うことができるからです。

 

施しや恵みを目に見えるかたちで行うことが「自己満足のため」にならないように注意する必要は大いにありますが、施しや恵みを与える行為自体は、聖書の中でもおすすめされていることです。

施しや恵みの一番大事なポイントは、その価値が、寄付するモノが何なのか?や、募金する金額が大きいか小さいかではない、というところなのです。この一番大事なポイントこそが、自分の満足感を得るための行いなのか、他者のための行いなのかを分けるはっきりとした境目になります。

 

「10分の1をことごとく、宝物蔵に携えてきて、わたしの家の食物とせよ。

こうしてわたしをためしてみよ。—万軍の主は仰せられる。—

わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、溢れるばかりの祝福を、あなたがたに注ぐかどうかためしてみよ。

わたしはあなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のブドウの木が不作とならないようにする。—万軍の主は仰せられる。—」

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  1. 2012年 11月 12日
  2. 2012年 11月 13日

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