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生活上で必要な事を、人生にとって重要な事より優先させてはならない。

2015年4月1日、日本最高齢の長寿であり、ギネス世界記録が認定する世界最高齢の女性、大川ミサヲさんが亡くなった。117歳だった。日本人の中では1800年代生まれの最後の存命人物であった。
かつて、織田信長は、幸若舞 (こうわかまい)の敦盛 (あつもり)を好んで演じたという。
人間五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
その当時(1560年ごろ)、人の一生(平均的な寿命)はせいぜい50歳くらいというのが「常識」であったのだろうが、それから455年ほどの時代を経て今なお、全人類の中で、一番、最も長生きをした人といっても120年弱なのだということを思うとき、やはり「人生は短い」と、つくづく感じ入る次第。そもそも、信長の時代(戦国時代)というのは、下剋上であり、日本人同士が国内で刀や鉄砲を使って絶えず殺し合いを繰り返していた、いわば年がら年中 内戦状態だったわけであり、そのような生きるか死ぬかがすぐ身近に差し迫った物騒な状況下でも50年くらいは生きていたということだというのであれば、その一生の長さというものに対する認識は、現代のそれと感覚的な違いはそれほど大きく違わなかったのではないかとも思われる。
日頃、目の前の生活レベルで優先している事柄、それは実は、人生というレベルで考えた時に、あまりにも無意味な事柄であったりすることが、多々ある。それは「生きるジレンマ」だ。いつも「何をするか」という視点で考えていると、結局は何もできないままで、ただ時間だけがどんどん過ぎ去っていく。「何を優先するか」という切り口で考えてしまうと、どれも必要なものに思えてしまい、結局、何も切り捨てることができないままになってしまう。生きている限り「時間は常に足りない」のだ。だから、いつも「何をしないか」を念頭に考えていかないと、その何かを切り捨てることはできないし、いつの間にか日々の雑多に押し流されていき、判断もぶれていってしまう。そして、「人生」というレベルの目線が、「生活」というレベルの目線と入れ替わって、元に戻ってしまう。
目の前にある事柄が、自分にとって重要事項だと思った時、一度立ち止まる必要がある。そして、果たしてそれは、「生活にとって必要なこと」なのか、それとも、「人生にとって大事なこと」なのか、どちらなのか? 天稟にかけてよく考えた上で、どちらを「しないか」を自分なりに決めた上で、余生を生きていきたいものだ。
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